i had tried to be a person whom if some aliens would come on this planet and i would be the person meet them as a representation for the earth.
what was wrong with this?
when i turned at some corners??
now, I'm gonna say .....
でもそれは。
人も傷つけたくない。
ロンドンはセクシーだったな。
間違った事も正しい事も全部一緒にまとめて、その辺の道にころがってたな。
日本はどうかな?
roryあいたいな。
テムズのあのあたりをまた自転車で走りたいな。
seven sistersとか、今度はいついくんだろ?
フランスのおばあチャンは元気かな?
それを今日本語で書く僕。
それも読めないおばあちゃん。
もともとどどかない、言葉。
言葉。嘘。真実。本当だと言い聞かせて。
でも上手くも言えなくなる。大切だとはっきり言えなくなる。
場所がなくなる。
nofxのlinoleum の歌詞が今さら響くぼく。
もうどこにいったやら。
- 2012/02/24(金) 16:30:01|
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自分が何をしたいか、を探るのは簡単だけれど、自分が何をできるかを探り当てるのには
なかなか骨を折る。
日本に帰ってきて1年半以上も過ぎて、自分の巣、居場所を細かくに作りながらも
どこかで「ここではないんじゃないだろうか」という疑問が体の隅に染み付いてしまっている。
けれども、僕も三十を過ぎ、毎日のようにそわそわと怯えて過ごしていた子供時代とは違い、わがままも少しは我慢が出来るようになってきたはずで、あきらめも少しは学んだはずだ。
たとえここでなくても、今はここにいるべきだ。
当たり前のことなんだけれど、僕にはそれでもこれを納得するのがなかなか難しいときがある。
昔、アイヌ文化に詳しいある人に、現地の人がする占いで見てもらったときがあった。
それはある種の動物占いで、言われたのは僕は「ワタリガラス」であるということだった。
ワタリガラスは日本では北海道あたりでしか見られない、一般のカラスよりも一回り大きい渡りをする鳥であるという。それは一場所にはあまりじっとしておらず、しかしほかの渡りの鳥とは違い、決まった周回コースがあるわけでもない。気まぐれな旅人であるらしい。
その占いもそのようなたとえに満ちていたもので
「一カ所にとどまらない。群れをなす時は何か必要に迫られてであり、基本は一人で行動する。自分にとても素直だが、時に人に自分勝手と思われるような行動をとる。自由人。ものを作る」などと言われた。
その時はまだ自分がいろいろな国を旅をする前だったし、そうか、そんなものかとしか考えていなかったけれど、今考えてみると、なんと恐ろしい、というかなんというか。
だけど、僕はそもそも引っ越しとかが好きな訳でもないし、旅行の準備なんかもとても嫌いなほうだ。
先に旅行の予定が立っていると、それだけで自分の行き先をコントロールされるみたいで、本当にいやになる。
たとえそれが自分で決めたものであっても。
それでも、一人でどこかに行きたなるこの衝動はどうしようもないようだ。
それも今までの人生を顧みると、どうやらある時間的な周期にもなっている。
というよりは、同じ地に定住しているその間も、体のどこかでいつも「ここではないな」という感覚があって、例えば広い河原にいたり、電車に乗っていたりするとその感覚がより強くなってくる。
前述の「ワタリガラス」について少し気になって調べてみたら、結構いろいろな神話や伝説にまつわる話が多い鳥だというのがわかった。
ワタリガラスの神話ーコラムー わかったけれど、それででは自分はどうしたら良いか、という解決策も特に見つけることもできなかった。当たり前だけど。ただ「ワタリガラス」は自由で、わがままで、他人を気にせず、好きな所に好きな時に飛んでゆく、きままな鳥だと言うこと。
自分のそのような音に耳をさますのは、でもいつも少し怖い。
それに向き合うのも、なかなか骨が折れる。なぜなら、毎日はしっかりと毎日として作られていて、固く正しいことのようにも見えるから。そして僕には僕なりの掲げた毎日の目標があるから。生活が一応、あるから。
でもそもそも、「ワタリガラス」のように生活している僕たちは、そんな正しさや賢さ、固さはとても脆いものにも写っている。
とりあえず、小旅行でも行って気分をごまかすことにしよう。
- 2011/11/02(水) 10:35:58|
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窓の外は雨がずっと静かに降り続いている。
KLMのトレードマーク、鮮やかな水色と白の機体、そして同じカラーのコンテナなどを運ぶ車たち。
アスファルトはじっとりと濡れたまんまだ。
この雨は今朝のロンドンの雨だったのだろうか、
時差とともにそしてこの雨雲とももに、僕の乗った飛行機はアムステルダムに3時間前に着いたのだった。
5時間前。
僕はまだロンドンに居て、前もって呼んでいたタクシーを友人の家の表に待たせたまま、彼の抱擁を受けていた。
僕らは割と明るく別れた。彼の息子のRuaはでもぐっすり寝ていたので、起こさずに静かに寝顔だけ見て出てきた。
彼は割と明るく、『昨日から考えていたんだけど。 変化は大事なことだと思うんだ。』と言った。
『変わる事は大事だと思う。君のようなまれな性格の人間がこのロンドンから去ってしまうのは寂しい事だけど、やはり変化は必要なことだ。』と少しうつむき加減で彼は続けた。
『昨日10年以内にまた会おうと言ったのは、僕も未来は分からないからで、それも変化の1つだろ?Ruaが育つのも変化だ。君がロンドンを去るのも1つの変化なんだよ、きっと、』と。
さらに16時間前。
僕らは昔よく行っていたタイレストランでご飯を食べていた。
僕が 『いつか結婚したら式のために東京にはきてくれるかな?』と半分冗談、半分本気で聞くと
『うーん、考えさせてくれ』と答えた彼のまじめな顔に思わず笑ってしまった。
僕が『そういう所が君を好きな理由の一つなんだよ』と笑ったまま言うと彼も笑いながら 『まあ10年以内に又会えたら良いね』と言ったのだった。
僕もそうだね、と彼の顔を見ながら答えた。
そして35時間前。
僕は夜の雨の中を自転車に乗って、別の友人の家からスタジオに帰る途中だった。
体が芯から冷えてきて、ぐしょぐしょになった手袋をコートのポケットに入れようと、道路の脇で自転車を止めた時。
目の前に一匹の狐が道路の真ん中に居てこっちを見ていた。
オレンジの街灯がその狐の陰をくっきりとアスファルトに残していた。
同じ通りの同じ場所で同じような時間帯に、今まで僕はなんども似たような狐を見かけている。
彼(彼女)はいつも一匹で、近くのゴミを漁って居るのだった。
それが同じ個体なのか、それとも1つの家族の別の個体なのかは分からないが
ただこの広いロンドンで見かける時は、僕も彼もいつも一人だった。
そしてお互いに一人であることを知っているような不思議な感覚があった。
それは以前は田舎に居た狐達が、餌をもとめて都会に順応し、密かに増えていっているという新聞記事を読んでから、僕は彼等に奇妙な親近感があったのに帰着していたのかもしれないが。
夜に街を徘徊し、単独で行動している彼等の姿は、まるで自分みたいだと感じていたのだった。
気がつけば窓の外は雨が止んでいる。外のコンテナにカラスが一羽とまって羽繕いをしている。
コーヒーは随分冷めてしまった。
搭乗の時間まであと30分少し。
脳みそはずるずるとはっきりしない形の図形を描きながら、同じ所をぐるぐると回っているみたいだ。
ただ浮かんでくるのは、最後の友人の笑顔、隣人イギリス人の親切だが大柄な態度、道ばたでこっちをじっと見る猫の目、そしてオレンジ色の街灯に照らされたずぶぬれの狐。街にとけ込んでいった、ひとりでに変化していった狐。
僕はここでこの文章を書くのを止めようと思う。
搭乗時間も近づいてきたし、何よりパソコンの電源が無くなりかけている。
外はやっと晴れてきたみたいだ。
- 2010/04/03(土) 14:22:13|
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